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千葉地方裁判所 昭和24年(行)25号 判決

原告 庄司かつ 外一名

被告 千葉県知事

主文

千葉県農地委員会が昭和二四年四月一二日附を以て為した千葉県千葉郡二宮町前原中台東三八三番地の三、畑一反歩につき、同町農地委員会が樹立した買収計劃に対する原告の訴願を棄却した裁決はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は主文と同趣旨の判決を求め、その請求原因として、千葉県千葉郡二宮町前原中台東三八三番地の三、畑一反歩は、亡庄司由松の所有であつたところ、訴外二宮町農地委員会は、右土地を市川市在住の不在地主の小作地であるとして買収計画を樹立したので、亡庄司由松はこれを不服として、同農地委員会に異議の申立を為したがこれを棄却された。そこで更に右決定に対し昭和二四年二月一日千葉県農地委員会に訴願したところ、同農地委員会は、同年四月一二日附をもつて、右土地は昭和二〇年一一月二三日現在における不在地主の所有する小作地と認められるとの理由で「訴願人の申立は立たない」と裁決して由松の右訴願を棄却し、同人はこれを同年五月七日知つた。

しかしながら本件買収計画及び訴願裁決には次のような違法がある。即ち庄司由松は、昭和一二年九月頃訴外宍倉竹松より本件土地を買受け、自ら耕作していたが、昭和一八年一〇月頃戦争がはげしくなり、住居地である市川市から耕作の為に通うことに困難を感ずるようになつたので一時耕作を中止し、訴外御代川きよに、必要の時は何時でも返す約束で、本件土地の管理を委託した。しかして、右管理中同訴外人が本件土地を如何に利用したかは由松の何等関知するところでないが、終戦後由松は再び自ら耕作することとし、同訴外人に本件土地の返還を求めたところ、同訴外人は本件土地に甘藷等を植付けて耕作中であつたので、その収穫後に返して貰うことにし、昭和二〇年一〇月中頃、これの返還を受け、以来自ら耕作して来た。従つて本件土地は遡及買収の基準となる昭和二〇年一一月二三日現在における不在地主の所有する小作地ではない。

よつて由松は違法な右訴願裁決の取消を求める為本訴を提起したが同人は昭和二八年九月二三日死亡したので同人の相続人である原告等に於て訴訟を承継して本訴請求をなすものであると述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、原告等の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め、答弁として、本件農地は遡及買収の基準時である昭和二〇年一一月二三日現在における不在地主であつた亡庄司由松の所有する小作地であつたから訴外二宮町農地委員会は昭和二十三年四月二十四日自作農創設特別措置法(以下自創法と云う)第六条の五により買収計画を樹立し、同年六月一〇日より同月二〇日迄関係書類を縦覧に供したところ、これに対し、由松から、同農地委員会に対し異議を申立てたが否決したところ更に昭和二四年二月一日、千葉県農地委員会に訴願の提起があり、同農地委員会は同年四月一二日、原告等主張のような理由でこれを棄却する裁決を為し、該裁決書謄本を同月一三日二宮町農地委員会を経由して由松に送付した、昭和二〇年一一月二三日現在において本件土地が不在地主の小作地であつたことを詳述すれば本件土地は昭和一八年秋頃、訴外御代川きよが市川市に住所を持つていた由松より期限の定めなく、賃料は収穫物(農作物)をもつて収穫状況に応じて適宜支払う約束のもとに賃借したが、同訴外人は女一人で手不足であつた為め、その頃右土地の中約三畝歩のみを自ら耕作し、他は訴外元橋三蔵に五畝歩を、訴外沢路よしに二畝歩をそれぞれ転貸したところ、由松も暗黙にこれを承諾したので、同訴外人等は、御代川きよを通じて、由松に収穫物をもつて賃料を支払つた上、これを耕作してきた。

ところが、昭和二一年夏頃、由松は本件土地を宅地として使用する心要があるとの理由で、右訴外人等にその返還を要求して来たので、己むなくこれを承諾し、同年一二月頃本件土地を由松に返還したが、同人は現在に至るも該地上に家屋を建築せず、自作しているような状態である。

しかしながら右の如く、本件土地を由松が自作するに至つたのは、前記訴外人等より本件土地の返還を受けた昭和二一年一二月以降のことであつて、遡及買収の基準時である昭和二〇年一一月二三日頃は、前記御代川きよ他二名が適法に賃借し、又は転借して耕作していたものである、されば二宮町農地委員会が本件土地を自創法第六条の五により買収計画を樹立したことは何等違法ではない。

よつて由松の本件訴願を棄却した裁決は正当であるから、原告等の本訴請求は理由がないと述べた。(立証省略)

理由

本件土地が農地で亡庄司由松が所有していたこと、訴外二宮町農地委員会がこれを遡及買収の基準時である昭和二〇年一一月二三日現在における不在地主の所有する小作地として昭和二三年四月二四日買収計劃を樹立し、同年六月一〇日から同月二〇日まで関係書類を縦覧に供したところ、由松がこれを不服として同農地委員会に異議の申立を為したが、これを棄却されたので、同人は右決定に対し、昭和二四年二月一日千葉県農地委員会に訴願を提起し、同農地委員会は同年四月一二日これを理由がないとして棄却する旨の裁決を為したこと並びに昭和二〇年一一月二三日当時由松の住所が市川市にあつたことはいずれも当事者間に争がなく、右買収計劃が自創法第六条の五により樹立された旨の被告の主張事実は原告等において争はず、原告等が亡庄司由松の相続人であることは被告の争はないところである、而して成立に争のない甲第四号証の二と弁論の全趣旨とを綜合すれば前記裁決を亡庄司由松において昭和二四年五月七日に知つた旨の原告等の主張事実を認めることができる。

よつてまず本件土地が終戦前から如何なる状態において何人により耕作されていたかにつき按ずるのに証人御代川きよの証言及び原告庄司かつ本人尋問の結果を綜合すれば、本件土地は昭和一三年頃由松が将来宅地とする目的で買受け昭和一五、六年頃から大根等を蒔付けて自ら耕作していたが昭和一九年春頃戦争が激しさを増し、住居地である市川市から耕作に通うことが困難になつたので、耕作の業務を営む者又はその家族でない訴外御代川きよに対し、右貸すに至つた事情を説明し由松が必要な時は直ちに返還する約束で、無料で使用を許したこと訴外御代川きよは女手一人であつたので知人の訴外沢路よしを手伝に依頼して本件土地中約五畝歩に甘藷等を植付け耕作したが、近隣の訴外元橋三蔵が家族が多く食料不足であつたのでこれに同情し由松から借受けるに至つた事情をよく説明した上、由松にはことわることなく、残五畝歩を無料で同人に使わせることにし甘藷を植えさせたこと、御代川きよは甘藷約四貫匁を由松方に持参贈与したことがあり、右甘藷の内約二貫匁は元橋三蔵から御代川きよに手交したものであつたが御代川が由松にこれを贈与するに当つてはそのことを由松に告げなかつたこと、左様な事情で由松は元橋三蔵の氏名も顔も知らず僅に御代川きよから聞いて漠然と同人以外の人で本件畑に甘藷を植付けているものがあることを知つていたに過ぎないことを認めることができる、よつて更に進んで昭和二〇年一〇月二三日当時も右状態が続いたか原告がその時までに本件土地の返還を受けてこれを耕作していたかにつき審究するに証人御代川きよ、同沢路よし及び原告本人庄司可つはいずれも昭和二〇年一〇月中本件土地は全部由松に返還された旨を供述するが、右各供述は成立に争のない甲第二号証の一乃至五、証人林清の証言により成立を認め得る乙第一号証並びに右林清の証言に照らして措信できずその他に右原告主張事実を認むるに足る証拠がなく、却つて右諸証拠を綜合すれば御代川きよ、元橋三蔵が本件土地を由松に返還したのは昭和二一年一〇月中であつた事実を認めることができる。

よつて以上の認定事実に基き法律干係を考えて見るのに御代川きよは所謂非農家であつたから自創法第二条第二項により、同人の耕作していた農地は小作地に該当しないこと明である、元橋三蔵の耕作していた農地については、前記認定の通りとすれば由松が御代川きよに使用させたのはむしろ土地管理を主としたものであり右事情は御代川から元橋にも説明され御代川から何時でも返還するように言はれていたのであり、その基本干係は前記の如き使用貸借干係であつたから昭和二一年一〇月中の元橋から由松に対する本件土地の返還は法律上も道義上も誠に相当であつたと言はなければならない従つて元橋の耕作部分は同人の小作地と言い得るとしても、之を遡及買収することは信義に反する結果を招来する処分と云はなければならず右の点において本件買収計劃は違法であるのみならず、本件農地一反歩中五畝歩は小作地でないのに拘らず全部を一括して小作地として買収した点においても本件買収計劃は違法であること明である、よつて原裁決が原告の訴願を理由がないとして棄却したのは、不相当であるから、右裁決を取消すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 内田初太郎 山崎宏八 桜林三郎)

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